院長コラム

愛犬バズ

彼が我が家にやって来たのは、2008年6月のことでした。長崎から飛行機に乗って羽田空港の貨物受け取り場所まで迎えに行きました。犬の運搬用のゲージから飛び出して来たのは、生後2ヶ月のロングヘアーのオスのジャーマンシェパードです。仔犬と言っても、体重は7キロあり柴犬の成犬くらいはあろうかという大きさでした。足は物凄く太くいかにも大きくなりそうな犬でした。かわいいですが、想像していた仔犬より明らかに大きかったため家内は、「どうしてシェパードなの?ミニチュアダックやラブラドールでなくてシェパードである必要がどこにあるの?」と言われました。

そもそもなぜシェパードなのかと言えば、話は父の幼少期にさかのぼります。私の父は祖父の仕事のため、満州国で、幼少期を過ごしたそうです。祖父は検事をしていて移動も多くまた兄弟も小さかったため、父は曾祖父母にあずけられ、京城(現在のソウル)で、暮らしていたそうです。そこでかわれていたシェパードが父の遊び相手で友達だったそうです。お肉屋さんに買い物かごをくわえておつかいをしたなど賢く、いかに素晴しい犬だったかということを聞かされていました。終戦の混乱のなか家族の安全と、犬小屋で日本に持ち帰る財産を守ったそうです。私もいつか犬を飼うときは、シェパードを飼ってみたいと思っていました。

2008年4月日に大学の先輩にシェパードを飼いたいと思っていると電話で話したところ、翌日に先輩の叔父様のところでシェパードが生まれました。これは、運命的な出会いだと勝手に思い、叔父様もちゃんと飼えるならくださると言っていただき、家族に相談せず即決しました。

羽田空港に迎えに行く道中、「シェパードには警察犬のような警戒犬の血統が入っている犬とショータイプと言って従順で飼いやすい犬がいる。」と説明し更に先輩がショータイプのシェパードから生まれた仔犬の中から陽気で人なつこい小さい犬を選んで下さったと言いました。またヨーロッパでは家庭犬として最も飼われており3歳と5歳の子供がいても大丈夫だと話しました。

自宅に連れて帰るとすぐに生後2ヶ月の仔犬は3歳と5歳の子供をソファーの上に追いやり、シェパードの仔犬というより耳も垂れ下がり子熊のようでした。名前は3歳の息子に愛着を持たせるため息子がトイストーリーのキャラクターからバズと名付けました。先輩からは、「訓練されてないシェパードはシェパードでない。」「愛玩犬ではないのだから座敷犬にするな!」「悪性腫瘍ができてもそれは、動物の寿命と考え手術などするな!」「とにかくかわいくても犬なのだから擬人化するな、犬畜生なんだから!」と言われました。

シェパードを飼う覚悟はできてましたが、仔犬を犬畜生などと思えるはずもなく6ヶ月まで家の中で飼いました。犬には、私がリーダーであるということ、家族を大切にしていること特に一番下の息子を威嚇したりしないか注意してました。息子も自分が名付けたことで可愛がり、犬もポケモンごっこにつきあい「万ボルトだあー」など言われピカチューの代わりをさせられたり、寝ている頭の上から水をかけられても黙って我慢してました。しかし、だんだん体も大きくなり家の中のドアノブでドアを開けてしまうし留守番の時のいたずらもエスカレートしてきました。なかには、壁に穴をあけてしまう犬や車のシフトレバーを噛み砕く犬もいるそうです。せっかく頂いた犬なのでせめて初等訓練だけでも訓練所に行かせないと申し訳ないと思い、生後6ヶ月の一番かわいい時に4ヶ月間、訓練に行かせることにしました。家族でバズを訓練所に送りに行った時、家内は全寮制の幼稚園にでも子供を入れるような心配した顔で「あのーうちのバズにおやつは頂けるのですか?お庭に出てお遊びの時間はありますか?」などと言うと訓練士さんは呆れた顔をして笑ってました。訓練期間の面会は月に2回だけ許されていましたのでいつも家族で会いに行きました。バズは家族の姿が見えるとすぐにでも飛びつきたいのに、こちらをチラチラ見ながら訓練士さんの命令に従ってました。毎回帰る時は、後ろ髪を引かれる気持ちでした。後から聞いた話では、訓練所に来てから1週間は何も食べなかったそうです。

4ヶ月間の初等訓練から帰ってくると座れ、待て、つけ、フセ、などの基本的な事は出来る様になってました。それ以上の訓練はバズを手元に置いておきたかったので自分でやることにしました。家に帰って来た日から外の犬小屋で飼うことにしましたが、何を勘違いしたのか日の出とともに散歩に行きたがりクンクン、ワンワン鳴くのでベッドから飛び起きて新聞紙を丸めて叱ったり、家内は、犬小屋に入って子守唄を歌ってねかしつけていたそうです。散歩していると子供からは、オオカミだと言われ、また、年配の方からは、昔飼っていて、懐かしいなあとか、もっと年配の方からは軍用犬を思い出されてなのか「いい犬だな」など声をかけられることがよくありました。シェパードは前足が届く高さメートル位なら軽く飛び越えてしまうそうです。実際にシェパードの忠誠心、運動能力などの訓練性能を確かめたくてワクワクしていました。それからは、毎日、朝晩の散歩、訓練、休日の朝は2時間以上、円海山や天園など横浜から鎌倉の裏山を歩きまわりました。森で台湾リス、ハクビシン、アライグマなどを見つけると野生本能が勝り獲物を追いかけてしまうため命令に従わないこともありました。また、夜は誰もいない広場でフリスビーやボールのキャッチをしたり、砂浜を散歩したり海で泳いだり、シーカヤックに乗ったりしました。とにかくなるだけいっしょにいて信頼関係を築きました。このような男性を「イクメン」からとって「イヌメン」と言うらしいですが、まさにかなりの「イヌメン」になっていました。我が家は連休があっても、旅行に行くこともできず、行くところは犬の連れていけるキャンプ場だけでした。

ところが、2008年5月バズが2歳になってまもなく、群馬県のキャンプ場にいった時にドックフードを嘔吐して少し元気がない感じがしました。長距離を車で移動したため酔ってしまったのかと思いましたが1.5、翌日かかりつけの獣医さんに連れて行き、血液検査をすると腎機能がかなり低下しておりそのまま1週間入院することとなりました。精密検査の結果、慢性腎炎になってしまって、完治することは難しく、そんなに長く生きることはできないと言われました。なんとか治す方法があればと思い、大変失礼な事と思いながら、検査データを持参して泌尿器科の鳥居先生に相談させていただきました。先生はお忙しいのに丁寧に病状を診断していただき輸液、ビタミン剤を渡して下さいました。

その日から、私はバズを毎晩点滴するようになりました。そしてなるべく無理をさせず、訓練よりも家族と楽しく過ごすことにしました。食事制限もせずなるだけ好きなものを食べさせ体重が減らないように気をつけました。腎機能が低下して嘔吐するようになると食欲が無くなって衰弱してしまうそうです。以前の様な長い散歩は出来なくなりフリスビーも時々する程度にしました。毎日フリスビーをしていた広場を通ると私の顔を何度も見て「どうしてやらないの?」と訴えかけていました。点滴を毎晩しようと呼んでもそのときばかりは犬小屋からなかなか出て来なくなりました。まだ2歳6ヶ月にもかかわらず、だんだん散歩の後半には歩くスピードが遅くなってきました。2010年の夏は記録的な暑さで食欲も落ち、一日2回少量のササミを手ですくって食べさせていました。

病気の犬の話を患者さんのSさんにすると、インシュアリキッドという人間用の経口栄養剤をいただき、バズはそれを好んで飲みました。今まで右目から出ていた目ヤニがピタッと止まり少し元気になってきた気がしました。Sさんも犬を飼ってらっしゃる経験から先が長くないのだから好きな食べ物を元気なうちにあげなさいと、牛の生肉、アバラ骨など抱えきれないほど持ってきてくださいました。バズはペロリと食べてしまいました。「先生が食べている肉よりいい肉だよ」と言われていただいたので美味しいに決まってるよなと思いつつ、久しぶりに、喜んで食べている姿を見られうれしく思いました。しかしそれから1週間後に歩けなくなり、日間頑張りましたがついに2010年月日朝6時に力尽きました。

半年前から覚悟してましたが、大型犬で存在感もあり最後はリビングで付きっきりで介護していたので座敷犬で完全に擬人化していましたので悲しみはより大きかったです。立ち上がれなくなってからも、私の顔をみるとがんばって歩きだし階段を下りて森までフラフラしながらでも散歩に行きました。最後まで長女をバス停まで見送りに行きたがりました。私が毎日散歩をしてブラッシングをして体もさわっていたのになぜもっと早く気がつかなかったのか後悔してます。最後に好きな食べ物をお腹いっぱい食べさせてあげられたことで少し救われた気持ちがします。シェパードの訓練性能の素晴しさは、一部しか知ることが出来ませんでしたが、バズは生涯忘れられない存在となりました。今は天国で大好きなフリスビーを全速力でキャッチしていると思います。